「子供には家庭の外に師匠と呼べる存在が必要だ」とよく言いますよね。
私自身の子供時代をふり返っても、親戚だったり近所のおっちゃんだったり、それこそ塾の先生だったり中高の先輩や先生だったり、すごく魅力的でかつ頭が上がらないという存在がありました。
親とは違う視点や価値観をくれて、たまに子供からは舞台裏とも思えるような大人の世界を垣間見せてくれたりもして、たとえ家の中で軋轢を抱えるような難しい年頃であっても、その人には心を開けるし、バランスもとれる…ような存在です。
一方で最近思うのは、実は大人にも弟子と呼べる存在が居た方がいいのではないか、ということです。
例えば家庭教師でもいいし、サッカーのコーチとかでもいい。
何かを教え育てるけれど、程よい距離や緊張感があり、敬意や感動があり、そんな間柄。
そうするとそれにふさわしい存在であろうと、師たる大人の側も自然と身を正しませんか。
甘えもごまかしもなく、フェアな関係を保とうと思えば、言葉や振る舞いも立場に相応しい誠実で真摯なものとしなければなりません。
僕なんかもプライベート、それこそ若い頃なんかは特に奔放でだらしない人間でしたけれど、この仕事に携わるようになってからは、僕自身の人間性はどうあれ、子供たちの前では少なくとも軽蔑されない程度に発言や立ち居振る舞いには気をつけなけりゃな、と思うようになりました。
そのうち、表面上の言葉や態度だけではなく、説得力も備えられるようになるには普段の接し方が大切だと気づくに至り、まだまだ未熟者ながら、アプローチの仕方も色々と考えるようになりました。
それらの何がいいかって、「親子以外の形」で子供が大人と、あるいは大人が子供と関わり合うことで、相互理解が進むというか、付き合い方を学べるというところなんですよね。
親子関係についても親(子)としての自分や、子(親)としての相手を、相対化したり客観化したりできるんじゃないでしょうか。
その視座を通じて、自分という人間性はさて措き、親という求められる役割をもっと上手に演じることはできないだろうか、と思うのです。
父親デビューしてわずか3ヶ月半、まだまだ赤ん坊カワイイ〜というだけで、親子関係の難しさなど何も理解できていない内から、こんなことを書くのはナマイキに映るかもしれません。
ほほう、大きく出たな、愛いヤツじゃ、それではお手並み拝見といこうか…てなもんで、ニヤニヤとお見守りいただけたら幸いです(笑)。
僕だけはうまくやれるなんて思い上がっているつもりはないんですよ(笑)。
ただ、待ち望んだ我が子だけに、願わくはできるだけ仲良くやりたいなあと思っているわけです。
そのために、自分なりに一生懸命考えて、こういう視点で子育てをやってみようというチャレンジです。
もちろんただの思いつき仮説の段階です、これから子供が大きくなってゆくにつれて、実証が進んでいくわけですけれど。
「親子は理屈じゃない」のはよく言われるところですし、傍目にもそう思わせる実例は多く目の当たりにして来ました。
親子のかたちは様々にあるでしょうし、どうすればいいのかもそれぞれに探っていくより仕方ありません。
ですから僕も違うと思えばすっと路線変更できるような柔軟さを持ち合わせていたいなとは思います。
まずは親だからという立場に甘えず、言わんとしているのは自分の勝手な都合や思惑なのか、本当に子供のことを思ってのことなのかを線引きし、もっと伝わるような言い方・やり方はないものかと丁寧に考える、まさにこれまでに仕事で培った姿勢・ノウハウを活かせるように心がけたいですね。デキルかなあ……(笑)
師を師たらしめるのは弟子。
親もまたそうなのかもしれませんね。