2020年01月31日

子育て基本方針

「子供には家庭の外に師匠と呼べる存在が必要だ」とよく言いますよね。
私自身の子供時代をふり返っても、親戚だったり近所のおっちゃんだったり、それこそ塾の先生だったり中高の先輩や先生だったり、すごく魅力的でかつ頭が上がらないという存在がありました。
親とは違う視点や価値観をくれて、たまに子供からは舞台裏とも思えるような大人の世界を垣間見せてくれたりもして、たとえ家の中で軋轢を抱えるような難しい年頃であっても、その人には心を開けるし、バランスもとれる…ような存在です。

 一方で最近思うのは、実は大人にも弟子と呼べる存在が居た方がいいのではないか、ということです。
例えば家庭教師でもいいし、サッカーのコーチとかでもいい。
何かを教え育てるけれど、程よい距離や緊張感があり、敬意や感動があり、そんな間柄。
そうするとそれにふさわしい存在であろうと、師たる大人の側も自然と身を正しませんか。
甘えもごまかしもなく、フェアな関係を保とうと思えば、言葉や振る舞いも立場に相応しい誠実で真摯なものとしなければなりません。
僕なんかもプライベート、それこそ若い頃なんかは特に奔放でだらしない人間でしたけれど、この仕事に携わるようになってからは、僕自身の人間性はどうあれ、子供たちの前では少なくとも軽蔑されない程度に発言や立ち居振る舞いには気をつけなけりゃな、と思うようになりました。
そのうち、表面上の言葉や態度だけではなく、説得力も備えられるようになるには普段の接し方が大切だと気づくに至り、まだまだ未熟者ながら、アプローチの仕方も色々と考えるようになりました。

それらの何がいいかって、「親子以外の形」で子供が大人と、あるいは大人が子供と関わり合うことで、相互理解が進むというか、付き合い方を学べるというところなんですよね。
親子関係についても親(子)としての自分や、子(親)としての相手を、相対化したり客観化したりできるんじゃないでしょうか。
その視座を通じて、自分という人間性はさて措き、親という求められる役割をもっと上手に演じることはできないだろうか、と思うのです。

父親デビューしてわずか3ヶ月半、まだまだ赤ん坊カワイイ〜というだけで、親子関係の難しさなど何も理解できていない内から、こんなことを書くのはナマイキに映るかもしれません。
ほほう、大きく出たな、愛いヤツじゃ、それではお手並み拝見といこうか…てなもんで、ニヤニヤとお見守りいただけたら幸いです(笑)。

僕だけはうまくやれるなんて思い上がっているつもりはないんですよ(笑)。
ただ、待ち望んだ我が子だけに、願わくはできるだけ仲良くやりたいなあと思っているわけです。
そのために、自分なりに一生懸命考えて、こういう視点で子育てをやってみようというチャレンジです。
もちろんただの思いつき仮説の段階です、これから子供が大きくなってゆくにつれて、実証が進んでいくわけですけれど。

 「親子は理屈じゃない」のはよく言われるところですし、傍目にもそう思わせる実例は多く目の当たりにして来ました。
親子のかたちは様々にあるでしょうし、どうすればいいのかもそれぞれに探っていくより仕方ありません。
ですから僕も違うと思えばすっと路線変更できるような柔軟さを持ち合わせていたいなとは思います。
まずは親だからという立場に甘えず、言わんとしているのは自分の勝手な都合や思惑なのか、本当に子供のことを思ってのことなのかを線引きし、もっと伝わるような言い方・やり方はないものかと丁寧に考える、まさにこれまでに仕事で培った姿勢・ノウハウを活かせるように心がけたいですね。デキルかなあ……(笑)

師を師たらしめるのは弟子。
親もまたそうなのかもしれませんね。
posted by こんぶ先生@Miraiz at 09:00| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2020年01月13日

あずき逝く

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あれは僕がまだバンドマンだった頃のことです。
2005年の5月だったと記憶しています。

ツアー先の大阪でGWのイベントライブ日程を消化し、その後メンバーやスタッフと別れてプライベート旅行を楽しむ…つもりが、なぜか吸い込まれるように立ち寄ってしまったペットショップ、その名もいまはなき梅田『わんわんらんど』。

店頭にいたのは三匹の仔犬たち。そのうちの二匹がそれぞれに猛アピールしてくる中で、僕の目を惹いたのは遠慮がちに隅っこでこちらをじっと見ていた一頭の雌犬。マルチーズとミニチュアダックスのミックス、独特の胴長短足フォルム、真っ白な毛にほんの少しあずき色が雑じった彼女に僕は魅入られてしまいました。

時給いくらのバイトを掛け持ち、貧乏バンドマンだった僕にはとても手が届かない金額。しかしあろうことか購入即決。当時バイト勤務だった塾で仕事ぶりを認められ、初めて「ボーナス」が貰えることになっていたのを当て込んで、なんと全額を注ぎ込んでしまったのでした。
普通旅先で犬買わないですよね(笑)。
帰りの新幹線では名前をどうしようか、『ボーナス』にしたろうか、などと悩み、ともかく運命的な出会いを果たしたのでした。

それからの15年弱は、もう語り尽くせないほどの楽しい思い出で彩られています。バンドを辞めて塾屋になり、やがて結婚し、前職を離れ、独立し…人生のどの場面でもあずきの存在に慰められ、励まされ、分かち合ってきました。あちこち連れ歩くのも楽しかった。膨大な数の写真がそれらを物語っています。

とにかく人懐こくて、僕のことも大好きで、いつでもどこでも抱っこをせがむし、家の中でもついて回るし、風呂に入れば脱衣所で必ず待っているし、ソファーに座れば必ず前足でチョイチョイと「膝に載せて」アピール、布団に入れば潜り込んでくるし、果てはトイレの中にまで追いかけてくる始末。出勤の時はきまって行くな行くな私も連れてけと吠えまくられ、ズボンの裾を引っ張られ、玄関まで先回りしてもう大変。帰宅すると玄関先まで飛び出してきて、しゃがんだ僕の膝に飛び乗って顔中ベロベロ舐めまわされてもう大変。トイレもちゃんとするし、お腹空いたら餌皿くわえて催促しにくるし、散歩にリードも要らないし、もう何もかもがパーフェクト、僕にとって最高に理想の犬でした。

僕もまたあずきをベタベタに可愛がっており、もう家に帰るとデレデレでした。子供の居なかった僕らには大袈裟でなく、まるで実の娘のような存在だったでしょう。この15年を語るのに、先に亡くなったミルコとこの小豆を抜きにすることはできません。まごうことなき家族でした。

そんなあずきとも、とうとうお別れの日が来てしまいました。
本日午前0時15分、あずきは14歳9ヶ月15日で旅立ってしまいました。
僕と妻に見守られながらの、安らかな最期でした。

以前から肺と心臓に持病があり、ここ2年ほどは投薬でコントロールしている状況だったのですが、とうとう腎不全を発症してしまい、手の施しようもありませんでした。

5年前に子宮内膜症と乳腺ガンを患い、瀕死のところから劇的な回復。
2年前にも腫瘍が肺に転移、肺の6分の1を切り取る大手術を経て、またも奇跡の生還。
飼い主の不徳で様々な大病を患いましたが、ここまで本当によく頑張ってくれました。
今回はもうさすがに手術に堪える体力もなく、また切除しようもない病状なので、あきらめざるを得ません。うすうす覚悟もできていました。

ただ、僕が仕事で不在の時にひとり寂しく逝ってしまうなんてことがないといいなあ…と願っていました。そんな僕の気持ちを推し量ったかのように、あずきはこの繁忙期のここしかないという休日に、ゆっくりと丸一日時間をかけてお別れをしてくれました。

最期がまた実にあずきらしい健気ぶりで泣かされました。
緩和ケアの病院から帰り、少し苦痛も和らいだように見えるものの、意識は混濁、おそらく今夜がヤマだろうと覚悟を決めました。
ベッドを整えて、久々に一緒に寝てやることにしました。

やがて僕が息子を風呂に入れる時間になり、

「おいあずき、まだ逝くんじゃないぞ、いまちょっと風呂入ってくるからな、出るまで待ってろよ、今夜は一緒に寝てやるからな」

と耳打ちしました。
犬は飼い主のタイミングを見ていて、帰りを待ってから逝くもの、ふと目を離した数分のうちにそっと逝くもの、いろいろ居るようです。
あずきは僕の言うことは本当によく聞くので、念を押していったのです。

風呂から出て様子を見に行ったところ、フシュッと鼻を鳴らし、よかった、まだ生きてた、と安堵した直後のことです。
さっきと同じように耳元で、

「おいあずき、ちゃんと待っててくれたな、ありがとうな、エライぞ、一緒に寝ような。もう無理して起きてなくてもいいんだぞ、おやすみあずき」

と声をかけている途中、大きく二回呼吸をしたかと思うと、そのまま静かになりました。すぐにそれは察せられました。
あずきは言いつけ通りに僕をギリギリまで待ち、そして僕の声を待って逝ったのです。
本当に愛娘あずきらしい、忠実で健気な最期でした。

ミルコの時もそうでしたが、犬とはいえ10年以上も家族同然で過ごしてきましたから、大変辛いものがありますね。
愛犬が2匹とも旅立ってしまい、寂しい限りです。
でも親類や友人たちにもとても可愛がってもらって、みんなに愛されて、ミルコもあずきも本当に幸せだったと思います。

そしていま、愛息悠雲がいてくれることが、ものすごく大きな支えになっていると感じます。
あずきを喪って悲しいこと、寂しいことには変わりありませんが、悠雲という眩しいほどに明るい灯火がひとつあるお陰で、家の中が真っ暗にならずに済んでいます。
ようやく苦しみから解放されて楽になれたねと、いつかまたどこかで会おうねと、前向きな気持ちで送ってやれると思います。

長い長い記事になってしまいました。
こうして文字にすることで少し落ち着けた気もします。読んでくださった方、ありがとうございます。

写真は先月の20日にトリミングのあと撮ってもらったものです。本当に可愛らしい犬でした。
まさかここからひと月も経たずにお別れとは。儚いものです。
明日の火曜日に荼毘に付すことになりました。
精一杯明るく、感謝を込めて送ってやります。

posted by こんぶ先生@Miraiz at 04:48| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする
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